ニコニコ超会議に行ってきた ※注:今回のエントリは、普段よりもねたみとそねみと自分語りが多くなっております
朝から天気がよく、無性にどこかに行きたくなって。都合よく超会議があると知ったので、行ってみることにした。
そして、着いた瞬間感じたアウェー感。なんでカップルがデートコースで来ているんだろう。しかも、結構たくさんいるし。。。。。。
とは言ったものの、実際にはひっじょーに面白いイベントで、色々と満喫できました。例えば
・生できゃりーぱみゅぱみゅを見た。可愛かった。
・縁もゆかりもない人の結婚式を祝福できた。
・地獄のミサワが絵を描くとこを見た。
・上杉隆の講演を聞いてみた(こちらは後述
・とりあえず奇声を挙げてみた。
・帰宅途中にアキバで食べた、じゃんがらのぼんしゃんが大変美味だった。
・生できゃりーぱみゅぱみゅをみた(大事なこry
惜しむらくは地方在住者ゆえに、途中で帰宅せざるを得なかった、ってことでしょうか。パーティーまで出たら、帰りの電車が無いという。。。それを差っ引いても、会場の壁に映し出される無数のコメントを見ながらARを感じてみたり、入り口に飾られた共産党と公明党の贈呈花にぶったまげてみたり。実に有意義でした。
だけど、お願いだからデートコースにしないでください。学生だったら、まだ耐えられる。けれど、社会人同士で一緒にくるとか……(血涙
システマ備忘録
今日のキモは、アタマで考えることと、実際やることは違うってこと。考えすぎてしまうと、せっかく体ができていてもわからない。自分の動きが見えずに、こうあるべき、という思いに縛られちゃう。
やったことは、緊張している部分をピンポイントで見つけて、そこのちからを抜く。相手とのあいだに生まれた緊張は維持しながら、他の部分を抜いていく。
システマ備忘録
今日は椅子を使ったエクササイズ。背もたれと座る部分の間の、わずかな隙間をうねうね抜けたり。胸の辺り、肋骨でハマってまう動けなくなった。けっきょくなんとかはなった。この辺がたぶん緊張するんだろう。あとは、椅子に座ったまま後ろにローリング。目を開けているより閉じた方が、スムーズに回れる。
クラス初参加の人ともやった。向こうの緊張に引っ張られて、こっちも無駄なちからが入ってしまう。そして、つい経験者ぶって、上から目線で接してしまった。これは特に改善しないと。
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- 作者: 岡崎京子
- 出版社/メーカー: 祥伝社
- 発売日: 2003/04/08
- メディア: コミック
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前々から本屋行っては気になっていて。とうとう思い切って買ってみたらすごく面白い。面白すぎてエグすぎて、読んでて思わず笑いが込み上げるほど。
で、何が面白かったのか……ヒロインにむっさ共感した。そのたぐいまれなる美貌で、押しも押されぬトップモデルのヒロイン。だけど、もともとデブ専の風俗で働くような底辺だった。それが、明らかに違法な美容整形+本人の努力で今の地位を勝ち取った。主人公の秘密を巡って、検察官が捜査をして……ってのが本筋だけど、そちらは割愛。っつーか読め。
閑話休題。さて、このヒロイン、一見すると自由奔放でかわいらしく、自然体の可愛い女の子である。ところがどっこい、それはあくまでもポーズである。彼女は常に「大衆が望む自分」を演じている。一皮むくとコンプレックスの塊である。元が元なだけに、常に「美しくなくなる = 自分の価値がなくなる」ことを恐れている。だからこそ、過剰なまでに「自分自身」を演じている。あまりにも上手に「自分」を演じる己を冷ややかに見つめながら。
これって、まさに脱オタだよなぁ、と。オタク時代だった自分を隠して、必死に「今の自分」を生きようとする。会話するときは、「リア充ならこうするだろう」という理想像に必死に従う。必死でファッション誌を読んで、オタっぽくない外見を目指す。まさに、オタが脱オタして必死であがく姿に重なってしまうのです。*1
どんなに努力しても満たされることはなく、常に「オタとばれるのでは」という恐怖と戦っている。一見さわやかなリア充に見える人ほど、実は内面「そうあろう」と努力している脱オタなのかもしれない。
というわけでこの本、リア充以上に、調子のってリア充ぶろうとしているオタどもに実にお勧めです。読んでも共感できなかった? 多分それは、あなたが自分が思っている以上にリア充だったからです。おめでとうございます、リア充の仲間入りです。
ちなみに、このような文章を書いている当の本人は「リア充目指した結果、職場全体に己のオタ趣味を暴露してしまった」、という経歴の持ち主です。脱オタは計画的に。
*1334575965*非リアが考える仕訳
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資産 │資本
・自分が持ってる価値・コネ │・ルックス
・っつーか、資本+負債 │・学歴
(以下略) │・性格
│・コミュ力
│負債
│・合コン誘ってくれる友達
│・アドバイスしてくれる友人
│・合コン誘ってくれる友達
│・ファッションの参考にしている雑誌
│・アドバイスしてくれる友人
(利益) │収益
・一緒にデートで来てうれしかった思い出 │・彼女とのデートで行ったディズニー
・笑顔見たときの達成感 │・プレゼントあげたときの笑顔
・まさかもらえると思わなかったビックリ喜び│・彼女からもらったバースデーメール
費用 │・「ありがとう」という彼女の笑顔
・彼女とのデートでおごった食事代 │・「また一緒に行こうね」というお誘い
・彼女のご機嫌取りに買ったプレゼント代 │・「べ、別に嬉しくなんかないんだから」
・彼女の誕生日に送ったメールのパケット代 │・「お返しはするねー」
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今日の話は詰まる所、「自分は人様に『勉強してる』って威張れない」それだけの話です。興味なければ、ここで読み終わったほうがいいと思う。
さて、自分が勉強していることを威張れない話。以下、それについて語ります。
結論から言うと、いくら勉強しても、『上には上がいる』こと。どんなに若者が勉強したって、自分よりも勉強している人は(年齢的に)いくらでもいる。そういう人々は「あいつらは勉強不足だ。だって○○を読んでないから」という。若者は読んでいない。だから萎縮する。
けれど、その一方で若者は先人の読んでいない本を読んでいる。ただ、先人がそれを理解できないだけ。先人は、それを誇ることができない。だって「理解してくれる人(=先人)」が理解してくれないから。だから、新人は「自分は何もわかっていない」と後悔する。そのあとはどうなるか、以下はどっとはらい。おあとがよろしいようで。
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調子のって、自分にとっての「道」とか語っちゃったいました。さらに調子のって「武道論」みたいなもんを語りたい。その前に、これまで己が歩んできた「武道」をまとめてみます。
結論から言うと、武道始で変わりました。「キモオタ」が「武道ができるキモオタ」になりました。というか、いまだに早朝からシャッター前で並ぶとは思わなんだ。ごめんね過去の自分、武道続けてもコミケはやっぱりやめられないんだ。
閑話休題。大学に入って武道を初めて。社会人になってもズルズル続いて。むしろ、やめるタイミングを逸した感がある。そんな自分ですが、あえて自分の武道論を語ってみます。それは「何をやっていようとも、常に自分の強さにつなげること」。まず、武道は道具がいらない。剣道だってその辺で棒っきれ拾えば練習できます。妙な訓練器具が無くても、練習できます。
職場で頭下げたり、いばったり。とにかく体を動かす限りは、いくらでも武道の練習になります。「こないだお辞儀した時より、若干左肩を下げてみよう」と。「手前の身体を、どう動かすか」なんて言い始めると、いくらでも練習の幅は広がります。