システマ備忘録

気付けば一ヶ月ぶり。今日のテーマは回復。打たれて痛かったら、一杯呼吸しようねってこと。特に印象に残ったことは2つ。
1つめ、人間のからだって結構頑丈。結構思いっきり腹殴ったり、寝ている相手の肋骨とかの上に立っても、案外大丈夫。骨折れたりしない。
2つめ、相手に関節きめられたら、自分の体を動かせばいい。動くところ動かしたら、そのぶん隙間が生まれる。手首極められたら肘動かす、みたいな。

久しぶりにデミアンを読み返す

例えば全知全能の神様に、「貴方の人生の意味とは『左の鼻にピーナッツを突っ込んで、右足だけでケンケンしながら死ぬまでウピョーと叫ぶこと』です」と言われたらどうする。大人しくうぴょーと叫ぶだろうか。
三木清の「個性について」っていうエッセイは、ウテナにハマった自分としては、無性に共感しまくり、厨二病だなぁと思ってみたり。サイダー飲むつもりが酒飲んで酔っ払うあたりとか大好きです。
今日やたらと気持ち悪かったのは、サルトル言うところの「嘔吐」だったのか。それとも、昼飯のかき揚げそば & 食後のコーヒーだったのか。
なんとなく入ったバーで勧められた、「解錠師」っつーミステリを読んでみる。あっという間に読めるほど手軽なラノベか。はたまた行き着く暇もないほど読ませる上質なミステリというべきか。

書かざるを得ない

今日、たまたまスタバに行ってザッハトルテを食べようと思ったら、隣に大学生のカップルが座っていた。仲がよさそうに、頭を突いたり突かれたり。まぁ幸せそうだった。横目で見れば見るけど平静を保つ。けれど心の中は七転八倒。むっさゴロゴロしてた。
閑話休題。振り返ってみると大学時代の自分は、つくづくそういう話に縁がなかった。こうやって振り返ると本当に実感する。むしろ、そういう話をする資格すらないと思ってた。改めて振り返れば、そこまで思いつめなくてもと思うけど。

システマ備忘録

色々なプッシュアップやったあとに、スパーリング形式でストライクの練習。
自分が肩関節を使えていなかったことに気づく。鎖骨からもう肩関節なんだ。あわせて、常に右肘を外側に捻っていたことに気づく。色々と発見が多い。

自分にとっての「道」とはなんぞやをまとめてみます。
結論から言うと「今日の昼飯はサブウェイ食いたい。強くなりたいから、高タンパク低カロリーのターキーブレストにしよう」ってことです。
武道好きの方には「武道とは命のやり取りである。単なる競技スポーツとは違う」などとおっしゃる方々がいます。けど、この現代日本の平和な社会、いくら格闘技やったって生死のやり取りなんてやりますか? っつーか、今の平和な日本社会、そうそう命のやり取りなんかありません。仮にあったとしても、んなとこ行くのはマッピラごめんです。
などと考えていきまして。行き着いた結論が「練習の成果を、普段の生活にいかせりゃいんじゃね」ってこと。簡単な例で言えば、スタミナつけてバリバリ働いたり。もっと捻くれると、間合いとかその辺のスキルを対人関係に使ったり。
んなこと考えてると、そのうち「自分が今おかれている環境を最大限活かして、どうやったら強くなれるか」を考えるようになります。コンビニまで歩きながら重心移動を研究したり、すれ違う他人との間合いを測ったり。
つまり、「強くなること」っつーのが日常の一部になるわけです。んで、これこそが武道のあるべき姿だと思います。つまり「『自分をいかに強くするか』を考えたうえで日常を送ること」
人生ってのは選択の連続です。昼飯に何を食うか。マックにするかケンタにするか。松屋にするか吉野家にするか。見回しただけでも、途方に暮れるような可能性に満ち溢れています。っつーか、マックにするかモスにするか、迷わない人はいない(断言
だけど、そこで「自分はこう」という判断基準が有る人は迷わない。「ドナルド嫌いだからモス」「ゴノレゴ好きだから吉野家」こういう人は迷わずスパッといける。武道っつーのもそういうもんだと思うわけです。つまり「自分が意思決定するときに、判断する基準」です。
空手にせよオタにせよ、自分なりの基準がある人は迷わない。「カード持ってるから、カタログをアニメイトで買う」ってのも「道」なんです。少なくとも自分にとっては。中途半端に迷うよりかは「自分の道だ」と何かを選ぶほうがいい。道ってのはその指針となる。別に人と争わなくてもいい。生死の境をさまよわなくてもいい。迷って選ぶなんて、人生にありふれている。そこに役立てばいい。むしろ、そこで役立たなくては意味が無い。それが自分にとっての「道」です。
昼飯時で腹減った。飯食うなにしても、少しでも強くなりたい。だけど無性にサブウェイ食いたい。だったら高タンパク低カロリーのメニューを選ぼう。「日常生活」を過ごしつつ、同時「理想」の強さを追い求める、両方を満たす選択肢をみつける。それが自分にとっての「道」です。


などという話をした理由が、秋山瑞人の新刊を読んだ興奮だとは。。。