おまけ:リア充になるためにやったこと

僕が「いくらリア充っぽいことやったって、リア充にはなれねーよ」と思い至るようになったか、参考までに「リア充になろうとやったこと」を列挙してみます。
・とりあえず30kgほど痩せてみた
・生徒会と協力して、校内向けの広報誌を作ってみた。
・空手始めて、黒帯とってみた。
・ジョギング始めて、フルマラソン走ってみた
・コンビニの店員さんとかに、笑顔で「ありがとうございます」って言ってるようにした
・女の子に「アドレス教えて〜」と言って、教えてもらってみた
・三十路前に卒業してみた(北方先生のアドバイスにならって)
・GAPとWEGOで服をそろえてみた(店員のアドバイスをうかがいつつ)
・眉毛整えてみた(薄くならない程度に)
・美容院行きはじめてみた(美容師さん全任せで)
・男性用ファッション誌を読み始めてみた
・オサレなカフェで、ゲーテとか読んでみた
・ことあるごとに、Village Vanguard 行ってみた
リア充っぽい音楽を聞いてみた(ボッサとかジャズとかヤスタカとか)
・英語喋れるようになってみた(外人さんをジョークで笑わせる程度)
リア充の友人を作ってみた
・女友達作って、一緒に食事に行ってみた
この結果、僕は最近「「最近さぁ、ますます速見 敦志と化してるね」とか言われました。

本日のレビュー:「僕が恐竜だったころ」

知る人ぞ知る、児童文学界のトラウマメーカー、三田村信行の作品(「おとうさんがいっぱい」とかでググれば、一発で分かります)。そして「今後『貴方の人生に影響を与えた本を3冊選びなさい』と聞かれたら、絶対『これまでの2冊 & 本作』と答える」と、ひそかに自分が固く誓っている本です。
お話は「恐竜博に行った主人公が、見知らぬ老人に『本物の恐竜を見たくないか』と聞かれ、ついていくと……」というお話。基本的に児童文学なので(というと物議をかもし出しそうだけど)膨大な裏設定や複雑に絡み合うプロットは存在しません。「背景に広がる広大な世界観に燃える」人よりも「少年の目線から、物語の世界に入りたい」人にオススメです。まず、キャラがかっこいい。何とこの本、ヒロインが恐竜です。しかも、こおなご。いやそれはどうでもいい。他にも「包丁振り回すヤンデレ熟女」とか「マッドサイエンティスト通り越してキ印」とか盛りだくさんです。いや、これもどうでもいい。とにかく、読み終わった瞬間に「モスに行こう。マックじゃなく」と思うぐらい、キャラがかっこいい。
そして、本作の白眉は「シナリオの節々に現れる毒」これに尽きます。一見どこにでもあるファンタジーSF風味に見せつつも、要所要所で毒を織り交ぜつつ話を進めていく。読み勧めるに連れて物語の緊張感は高まり、そしてクライマックスにて全ての謎は解決し、とみせかけて実は……。語りたい、語りつくしたいけれどネタバレになってしまう、このジレンマ。もう、読んでくださいとしか。
残念ながら、本作はただ今好評絶版中のようです。ただ、市や区の図書館に結構おいてあるので、入手はそれほど難しくないかと。そして、児童文学なので難しい表現も無く、スラスラ読んでいけます。是非、機会があったら手にとって見てください。

こんなこと書いている時点でダメだろうとか突っ込むの禁止

リア充リア充たらしめるものとは、「自分がリア充だ」という「確信」である。「リア充ことを幾ら繰り返しても、決してリア充へは到達しない。などということをダラダラ書いていきます。

そもそも「リア充」という定義は曖昧です。一口に「リア充」とは言います。自分もいざ「リア充」目指そうと、あらためて考えてみました。けれど、どうやったらリア充になれるんでしょう。リア充実の定義について、政府・NGOなど公的な委員会が発足され、公的な手続きを経た上で、公式な基準を公表した、何て話は聞いた事がありません。大半は、「○○やってるからリア充っぽい」とか、「リア充だったら、○○やってそう」みたいな「リア充っぽい」要素が殆どです。つまり、「リア充」には、リア充となるための基準が存在せず、あくまでも「リア充っぽい行動がなんとなくある」、程度に過ぎません。例)週末に予定を入れまくる。友人先輩後輩と飲み会開く。オサレなカフェに行く。オサレな音楽を聴く。オサレファッションを身に纏う。
ところが、曖昧であるが故に「リア充」っぽいことは幾らでも思いつきます。先ほどの「オサレ」の例で言っても「特定のオサレカフェ」「特定のオサレ音楽」「特定のオサレファッション」「特定の……」とどんどん細かく分けていけば、「リア充っぽいオサレアイテム」なんてそれこそ際限なく定義できます。だから、「リア充だったらオサレカフェ行ってるよね」と思ってオサレカフェ行っても、「あっちのカフェのがもっとオサレ(=リア充強度が高い)」⇒「だから、あっちにも行かないとオサレになれない(=リア充になれない)」ということになってしまいます。「リア充っぽいこと」を幾ら繰り返しても、常に目の前には無限の「リア充っぽいこと」が存在しています。幾らやってもキリがありません。俗に言う「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」です。では、この悲しい実情に対して、リア充たりえず、しかしながらリア充への憧れを止められない自分はどうしたらよいか、はまた明日。

昨日は一日外出していた

脳内BGMにダブルラリアット流しながらただまわることを繰り返したり、目につく端から人の右肘を極めてみたり、横浜駅西口近辺で街を歩くリア充どもに羨望のまなざしをむけたり、とにかく家に戻ったのが日付が変わってから。しかも、帰宅後すぐに書いたのはいいけれど、なぜかネットにつながらない。というわけで、更新できなかったんです。と自分に言い訳。

テルマエ・ロマエが面白かった件

ひっさしぶりに爆笑した映画だった。以下、面白かったポイント
①ギャグ:合間合間に出てくる小ネタが面白い。無意味に繰り返すテノールとか。無駄にこってるBilingalマークとか。実際、観客結構笑ってたし。
②キャラ:コメディといいつつ、主人公の苦悩に共感した。「明らかに技術レベルが違うものなのに、一見しただけで仕組みを理解し、あまつさえそれを再現できる」ぐらい才能に恵まれているのに、私生活には恵まれず。自分が模倣にすぎないと苦悩する。実は、アーティストの苦悩を描いたシリアスな映画だった。そういうシリアスなローマ部分と、能天気な現代日本部分を交互に繰り出しつつ。最終的にはカフェラテのごとく混ざり合いクライマックスにつながっていく。
③シナリオ:実は、戦国自衛隊とか、時空の旅人とかとおんなじ系統のSFなわけで。主人公が風呂職人であり、それを最大限生かした形で立ち向かうというか。詳しい話をしたくてたまらないけれど、ネタバレになるからできないこのジレンマ。終盤に明かされるタイムトラベルのカギも「そう来るかぁ」という感じで脱帽。そして、ラストシーン〜主題歌、の流れも「いかにも日本映画っ!!」っつー感じの余韻を残していて。終わり方も明るいし、見ていて楽しくなる。
と、言いつつも、やっぱりちょっと××なところもあるわけで。
ラブロマンスいらなくね? :っつーか、とってつけたようなヒロイン。ロマンス抜きにしたほうが面白いんじゃないの、とか思う。けれど、上戸彩がかわいいので無問題。Z−1時代からのファンです。
結論いうと、見て損はない映画。ただし、映画館選ばないとGWでヒマしたリア充どもがウヨウヨしている、気をつけろ。