こんなこと書いている時点でダメだろうとか突っ込むの禁止

リア充リア充たらしめるものとは、「自分がリア充だ」という「確信」である。「リア充ことを幾ら繰り返しても、決してリア充へは到達しない。などということをダラダラ書いていきます。

そもそも「リア充」という定義は曖昧です。一口に「リア充」とは言います。自分もいざ「リア充」目指そうと、あらためて考えてみました。けれど、どうやったらリア充になれるんでしょう。リア充実の定義について、政府・NGOなど公的な委員会が発足され、公的な手続きを経た上で、公式な基準を公表した、何て話は聞いた事がありません。大半は、「○○やってるからリア充っぽい」とか、「リア充だったら、○○やってそう」みたいな「リア充っぽい」要素が殆どです。つまり、「リア充」には、リア充となるための基準が存在せず、あくまでも「リア充っぽい行動がなんとなくある」、程度に過ぎません。例)週末に予定を入れまくる。友人先輩後輩と飲み会開く。オサレなカフェに行く。オサレな音楽を聴く。オサレファッションを身に纏う。
ところが、曖昧であるが故に「リア充」っぽいことは幾らでも思いつきます。先ほどの「オサレ」の例で言っても「特定のオサレカフェ」「特定のオサレ音楽」「特定のオサレファッション」「特定の……」とどんどん細かく分けていけば、「リア充っぽいオサレアイテム」なんてそれこそ際限なく定義できます。だから、「リア充だったらオサレカフェ行ってるよね」と思ってオサレカフェ行っても、「あっちのカフェのがもっとオサレ(=リア充強度が高い)」⇒「だから、あっちにも行かないとオサレになれない(=リア充になれない)」ということになってしまいます。「リア充っぽいこと」を幾ら繰り返しても、常に目の前には無限の「リア充っぽいこと」が存在しています。幾らやってもキリがありません。俗に言う「血を吐きながら続ける悲しいマラソン」です。では、この悲しい実情に対して、リア充たりえず、しかしながらリア充への憧れを止められない自分はどうしたらよいか、はまた明日。