システマ備忘録

まずは、緊張とはなんぞや、というはなし。リラックスしようと意識しすぎてしまうと、逆に体が動かなくなってしまう。ちょっとぐらい力んでもいいから、とにかく動き続けること。
んで、メイン。トレーニングナイフ使ってさしたりさされたり。ナイフ持った相手が向かって来ると、狙われてる部位とかに違和感が生まれる。だから、違和感が消える位置に自分を持って行く。これを目ぇつぶってやったりした。きもはやっぱり、動き続けること。相手がくるのを待つんじゃなく、危ないと感じたらすぐ動く、むしろ動き終わってないと。

本日のレビュー「自省録」

自省録 (岩波文庫)

自省録 (岩波文庫)

「哲人王」とも評される、古代ローマの皇帝の格言を集めた本です。と言っても、実質皇帝が、時々の思いつきをメモったものをまとめただけで、実質ツイッターを書籍化したじゃないか、という気がしなくもないです。
で、この本のポイント、それは皇帝が結構弱音はいてて、そこに共感できること。後世の評価では「皇帝でもありながら、極めて優れた哲学者でもあった」なんてべた褒めされてます。けれど、本人の文章を読むと「自分は、哲学者としてはまだまだ中途半端である」みたいなことが書いてあります。これを読んで「あぁ、古代ローマの皇帝といえども、なんか似たような悩み抱えてんだなぁ」と勝手に深く共感してしまいました。
特に好きなのが、このフレーズ「(7-8) 未来のことで心を悩ますな。必要ならば君は今現在のことに用いているのと同じ理性をたずさえて未来のことに立ち向うだろう。」そうだからこそ、なおさら今を頑張ろうという気になります。仕事その他で気が滅入った時に、本当に励まされました。

アメリカの話

11歳から14歳まで、計4年弱ほどアメリカで過ごしました。親の仕事の都合です。向こうでは現地の小中学校に通っていました。当然、授業も英語です。最初は授業についていけず、落ち込んだり腐ったりもしました。けれど、最終的にはそこそこなんとかなりました。海外での生活って聞くと、やはり「人種差別〜」みたいなことを連想するかと。僕の母親も、当時を振り返って「アジア人の女性だから、バカにされることがあった」なんて言ってました。ただ、僕個人の印象としては「アジア人」「日本人」だから差別された、って記憶はあまりありません。むしろ、自分の体形でからかわれることのほうが多かったような気がします。と、書いては見たけれど、実際にからかわれた光景をいまいち思い出せません。あるいは、思い出したくないから忘れているだけなのか。閑話休題。人種が気にならなかったのは、僕が通っていた学校は比較的アジア人が多くて、結構そいつらと仲良くやれていたからだと思います。ちなみにアメリカの学校ってのも色々な派閥にグループ分けされていて、僕が仲良かった連中は"nerd"です。日本語に直すと「オタクグループ」。やたらと「お前は本当にHENTAIだな!」と連呼するベトナム人とか、ことあるごとに江川達也の「ゴールデンボーイ」を勧めてくるインドネシア人とか、面白い奴等でした。あれです、「アニメと漫画で国際交流」を個人レベルで実践した感じです。

その一方で、向こうにいる日本人連中とも仲良くやっていました。そちらもそちらで、中々濃厚なメンツが多く。現在自分がオタとして在るのは、当時の付き合いのおかげです。一緒に泊まり込みで愛國戦隊大日本見たり、エクセルサーガ見たり。人生初のド失恋を経験してみたり。今はもう、ほぼコンタクトはありませんが。それでも、一緒に近所のショッピングモールへ行きながら見た空の青さとか、スケートリンク行って転びまくって飲んだ後のゲータレードの味とか。今にして当時を思い出すと、「一番楽しかった過去」でした。というのも、その他の「過去」っつーのはロクなもんじゃないか、あるいは「過去」がそのまま「現在」まで継続しているか。いずれにせよ、自分の人生が「TV放映版」だとしたら、アメリカ時代は「劇場版」といでも言うんでしょうか。それ自体で完結している、みたいな。
そして、中2の終わりに日本に帰り、厨2病満載の中3時代を経て、高校に入学することになります。

本日のレビュー「AIR」

AIR - PSP

AIR - PSP

学生時代にハマりすぎて、しまいには「私をコミケに連れてって、むしろ自分で行く」というようになってしまいました。
何をいまさら紹介する必要があるのか、という気がしなくもない。が、それまで「雫 → 夜勤病棟」と順調にキャリアを重ねていた自分にとっては、まさに衝撃でした。BGM、シナリオ、ツボを押さえた泣かせどころ。いたる絵がむしろ味を際立たせるアクセントに思えるほど、どっぷりハマりました。それこそ毎年7月後半になると、おもむろにPCにディスクをセットし、ゲーム内の日付と現実の日付をシンクロさせて、リアルで8月中盤まで1日ずつプレイしていたぐらい。さすがに12年前のゲーム & 発売当初からヒロインとかヒロインとかヒロインとかに物議を醸していたけれども、ぜひオススメしたゲームです。

リア充への道

一日中、筋肉という筋肉が悲鳴を上げている。特に腹筋。単なる筋肉痛なのか、それとも食べ過ぎで胃腸が弱っているのか、どっちにしろ地獄の苦しみ。あれか、「いやー筋肉痛ちょーやべーわ。マジ仕事になんねーっすよー」とか「いやー、俺って結構のめりこむタイプだからさー、スポーツでもやりすぎちゃうんだよねー」とかいっときゃいいのか。いわねーよ。
とはいうものの、リア充にはなりたい。しかし、リア充を模倣するだけでは、決してリア充にたどり着くことはない。まっこと困難な道です。(ここで、「合コンとかやればいいのに」なんて気軽に言っちゃう幸せな方には、言いいたい。合コンするには、そういうツテが必要なんです。非リア歴25年独身男性の交友関係は伊達じゃないんです。)
というわけで、「人はいかにリア充として生きるか」という深遠なるテーマについて、昨日から今日にかけてじっくり考えました。その結果を、いくつかのアプローチにまとめてました。

リア充を否定する
①「すっぱいブドウ」 (リア充を否定する):「リア充なんて大したことないね、あいつらより、むしろの自分のほうがもっと充実してるし」とひたすらリア充をdisりまくって、自分の視野に入れない方式。心理学でいうところの「防衛機制」です。ただ、いくらdisってもリア充リア充だから、何も問題は解決しない。
②「僕はここにいてもいいんだ」(自分の世界を生きる):「リア充。そういう生き方もあるよね。でも自分はもっと面白い生き甲斐があるから」と、自分の世界を生きる方式。そねみやひがみが無い分①よりましだけど、やっぱり問題は解決しない。

リア充を目指す
③「恋はあせらず」(自分のペースでゆっくり):「リア充? なりたいね。でも焦ってもどうしようもないし。そのうちチャンスが巡ってくるって」とかのたまう派。待ってれば来る人もいるでしょう。ただし、イケ(ry
④「行動派」(とりあえず動いてみる):「リアル充となるためなら、冥府魔道にも落ちてみせよう!!」とか言っちゃう人。実に真剣に努力はするけれど、結局何も解決しませんでした。

リア充を目指す必要がない
⑤「すでにリア充」⑥「非リアを気取るリア充」⑦「リア充過ぎて、リア充という概念が理解できない」:うらやましい。

本日のレビュー「半神」

萩尾望都の最高傑作 「偽王」が収録されたアンソロジー。双子? 野田秀樹? どうでもいい。
「偽王」は古代ギリシャ(というかオイディプス)をベースに、「どうしようもない衝動に突き動かされる若者」と「とある贖罪を負った浮浪者」との交流を描いた短編です。
なぜ「偽王」か。①主人公が美形 ②主人公がトラウマ持ち ③主人公が衝動に突き動かされる これにつきます。特に③.「社会的にはアウトなんだけど、衝動が止まらない」ってのが、僕のツボなんです。「オペラ座の怪人」しかり、「惚れた女は1○歳」しかり。