リア充への道

一日中、筋肉という筋肉が悲鳴を上げている。特に腹筋。単なる筋肉痛なのか、それとも食べ過ぎで胃腸が弱っているのか、どっちにしろ地獄の苦しみ。あれか、「いやー筋肉痛ちょーやべーわ。マジ仕事になんねーっすよー」とか「いやー、俺って結構のめりこむタイプだからさー、スポーツでもやりすぎちゃうんだよねー」とかいっときゃいいのか。いわねーよ。
とはいうものの、リア充にはなりたい。しかし、リア充を模倣するだけでは、決してリア充にたどり着くことはない。まっこと困難な道です。(ここで、「合コンとかやればいいのに」なんて気軽に言っちゃう幸せな方には、言いいたい。合コンするには、そういうツテが必要なんです。非リア歴25年独身男性の交友関係は伊達じゃないんです。)
というわけで、「人はいかにリア充として生きるか」という深遠なるテーマについて、昨日から今日にかけてじっくり考えました。その結果を、いくつかのアプローチにまとめてました。

リア充を否定する
①「すっぱいブドウ」 (リア充を否定する):「リア充なんて大したことないね、あいつらより、むしろの自分のほうがもっと充実してるし」とひたすらリア充をdisりまくって、自分の視野に入れない方式。心理学でいうところの「防衛機制」です。ただ、いくらdisってもリア充リア充だから、何も問題は解決しない。
②「僕はここにいてもいいんだ」(自分の世界を生きる):「リア充。そういう生き方もあるよね。でも自分はもっと面白い生き甲斐があるから」と、自分の世界を生きる方式。そねみやひがみが無い分①よりましだけど、やっぱり問題は解決しない。

リア充を目指す
③「恋はあせらず」(自分のペースでゆっくり):「リア充? なりたいね。でも焦ってもどうしようもないし。そのうちチャンスが巡ってくるって」とかのたまう派。待ってれば来る人もいるでしょう。ただし、イケ(ry
④「行動派」(とりあえず動いてみる):「リアル充となるためなら、冥府魔道にも落ちてみせよう!!」とか言っちゃう人。実に真剣に努力はするけれど、結局何も解決しませんでした。

リア充を目指す必要がない
⑤「すでにリア充」⑥「非リアを気取るリア充」⑦「リア充過ぎて、リア充という概念が理解できない」:うらやましい。