自分にとっての「道」とはなんぞやをまとめてみます。
結論から言うと「今日の昼飯はサブウェイ食いたい。強くなりたいから、高タンパク低カロリーのターキーブレストにしよう」ってことです。
武道好きの方には「武道とは命のやり取りである。単なる競技スポーツとは違う」などとおっしゃる方々がいます。けど、この現代日本の平和な社会、いくら格闘技やったって生死のやり取りなんてやりますか? っつーか、今の平和な日本社会、そうそう命のやり取りなんかありません。仮にあったとしても、んなとこ行くのはマッピラごめんです。
などと考えていきまして。行き着いた結論が「練習の成果を、普段の生活にいかせりゃいんじゃね」ってこと。簡単な例で言えば、スタミナつけてバリバリ働いたり。もっと捻くれると、間合いとかその辺のスキルを対人関係に使ったり。
んなこと考えてると、そのうち「自分が今おかれている環境を最大限活かして、どうやったら強くなれるか」を考えるようになります。コンビニまで歩きながら重心移動を研究したり、すれ違う他人との間合いを測ったり。
つまり、「強くなること」っつーのが日常の一部になるわけです。んで、これこそが武道のあるべき姿だと思います。つまり「『自分をいかに強くするか』を考えたうえで日常を送ること」
人生ってのは選択の連続です。昼飯に何を食うか。マックにするかケンタにするか。松屋にするか吉野家にするか。見回しただけでも、途方に暮れるような可能性に満ち溢れています。っつーか、マックにするかモスにするか、迷わない人はいない(断言
だけど、そこで「自分はこう」という判断基準が有る人は迷わない。「ドナルド嫌いだからモス」「ゴノレゴ好きだから吉野家」こういう人は迷わずスパッといける。武道っつーのもそういうもんだと思うわけです。つまり「自分が意思決定するときに、判断する基準」です。
空手にせよオタにせよ、自分なりの基準がある人は迷わない。「カード持ってるから、カタログをアニメイトで買う」ってのも「道」なんです。少なくとも自分にとっては。中途半端に迷うよりかは「自分の道だ」と何かを選ぶほうがいい。道ってのはその指針となる。別に人と争わなくてもいい。生死の境をさまよわなくてもいい。迷って選ぶなんて、人生にありふれている。そこに役立てばいい。むしろ、そこで役立たなくては意味が無い。それが自分にとっての「道」です。
昼飯時で腹減った。飯食うなにしても、少しでも強くなりたい。だけど無性にサブウェイ食いたい。だったら高タンパク低カロリーのメニューを選ぼう。「日常生活」を過ごしつつ、同時「理想」の強さを追い求める、両方を満たす選択肢をみつける。それが自分にとっての「道」です。


などという話をした理由が、秋山瑞人の新刊を読んだ興奮だとは。。。