「武道的じゃない思考」の話

サックリ言うと、「常にワクの中で考える」こと。aka「こういう状況なら、こういう風に対応する」と状況別に対応を個別に考えること。

日常生活ではイレギュラーな状況ってのは起こる確率少ない。だから「○○なら,××する」ってのが成り立つ。特に日常に変化が無ければ(或いは、変化に気付いてなければ)これでも十分対応できる。言ってみれば条件反射。無理に頭を使わずにすむから、非常に楽。

ところが、これだとイレギュラーな状況に対応できない。物騒な例だけれど「もしも貴方がナイフ持った暴漢と対峙したら」。日常じゃまず起こりえない。つまり「もしも〜」で想定できない。どうして、起こりえないことを想定する必要がある?

けれど、武道的思考だったら対応できる。だって「もしも」ベースで考えないから。最初からそういうワクを指定しない。「もし〜なら」なんて考えない。だってあらゆる「もしも」を想定することなんて不可能だから。

その代わり、どういった状況に陥っても対処できるように準備する。体を鍛えることだったり、技を磨くことだったり。人によってメソッドは違っても、想定外の状況に対処できるための準備をする、って点では変わらない。

想定外の状況は、予め対策できない。想定できないんだから、対策の立てようが無い。そういう状況に対策するのが武道。手持ちのカードをうまく使って、なんとか凌ぐ。それが武道的な思考。

想定外の状況を乗り越えられたら、それまで経験できなかったことが経験できる。「想定外の世界がある」ってことに気付く。別の言い方をしたら、既存の自分には見えなかった新しい世界が見える。つまり武道ってのは「既存の世界を拡張する = 新しい世界に気付く」手段なんだな。

或いは厨二的な言い方をしたら「世界を革命する力」なんだな。