卒論提出まで後3日(そしてまだ原稿に手をつけていない)

大学って、もっとこう、門外不出の秘伝を教えるところだと思っていたよ。

あらゆることが系統的に、かつ大学に行かなきゃ絶対に学べないようなのがあるんだと。

大学ってもっとすごいところだと思ってた。

質問して教授の知を吸い取ろうとするけど専門外はただのオッサン、底が見える。

これなら本を乱読したほうがマシなんじゃないだろうか。

大学ってもっとすごいところだと思ってた。

いや、そう思うんだったら、それでいいんじゃないの。
大学ってのは「何かを強制されて勉強する場所」じゃなくて「自分が勉強したいことを見つける場所」なんだし。
所詮学生なんて大したこと知ってるわけじゃなく、パースペクティブを広げるために大学が強制することは仕方が無いと思う。
ただ、従う義理は無いんだからいらないと思ったら本でも読んでりゃいいだけの話。
実際、授業ってのは緊張感があって集中できるから、本を読むには凄く良い環境だった。
(そのせいでまだ単位足りない+必修とれてないわけですが)

それに大学は教養科目じゃなくて、やっぱ専門科目だよ。
僕もゼミ入る前は、大学なんてチョロいって舐めてた。
けれどゼミは違う。とにかく違う。
例えば「本を読む」なんてのもそう。
読んでいない本について堂々と語る方法
こういう視点もありだと思う。
けど、そうは言っても大学教授が「本を読む」ことと、そん所そこらの若者が「本を読む」ことは、深さが違う。
僕なんかが気軽にテキストだけ眺めて「読んだ」って言ってる間に、向こうはコンテキストを読み取ろうと、文献あさったり考えたりしてる。
単純に考えても向こうのがはるかに長い時間、問題に取り組んでるわけだし。

無知の知」じゃないけど、大学は「自分がいかに至らないか」を認識させてくれて、その上改善するための場所と道具まで与えてくれる、まさに至れり尽くせりなわけで。
それを活かせるかどうかは、詰まる所自分しだい、ってことですな。

我々が将来、「知」を運用していくためには、書籍では圧倒的に情報量が足りません。講義に参加し、彼の全てを吸い取ろうとする態度、これこそが「学問」であり、大学は明らかに「学問」を目的とした場所なのです。

http://d.hatena.ne.jp/thir/20090103/p1

※それにつけても卒論が進みません。
っつーか、自分の演習は「政治思想史」が専門らしいですが、自分が書いてるのが政治なのか思想なのか歴史なのか、それとも全然関係無いのかすら分からない。
まぁ、書いちゃえば幾らでも小細工できるしー。
(実際のところ大学で学んだことで、一番役に立ってるのが小細工じゃ無いかと思う今日この頃)